

ルフィーノ・タマヨ(1899年〜1991年)は、オアハカ(メキシコ)にて、サポテカ族の家庭に生まれる。20世紀メキシコを代表するアーティストのひとり。 家族の反対を押し切って、幼い頃からの志を失わず、早くからメキシコ市へ出て造形美術アカデミーで学ぶ。そこで、先コロンブス期芸術の神秘とその多様性に多大なる感銘を受け、その後の作品制作にインスピレーションを与えることになる。同郷の「メキシコ壁画運動家」らが押し出す革命運動に賛同出来ず、1926年には一度ニューヨークへと渡り、その10年後には再びニューヨークを拠点として長期にわたり活動することになる。
以降、メキシコおよびアメリカ合衆国を制作活動の場とし、両国で数々の個展を開催。アメリカにおいては、ダルトン・スクールの後、ブルックリン美術館でも教鞭を取っている。1950年のヴェネチア・ビエンナーレ、1959年にはカッセルのドクメンタIIに出品したことで国際的名声を高める。1952年および1974年には、パリ市立近代美術館にて2度の展覧会が催され、同じくパリではユネスコ本部の壁画作品を制作している。1960年代から1980年代、彼を称賛する声は絶えず、多数の美術賞を受賞し、タマヨは近代における最重要アーティストのひとりとして讃えられる。
メセナ事業にも積極的で、1974年には 先コロンブス期のオブジェ・コレクションを 生まれ故郷オアハカへ寄贈している。また、メキシコの人々のためにも、彼自身の作品の中から多様な作品を厳選。実に貴重な近代アート作品コレクションを贈呈している。それを受けて1981年、メキシコ市にルフィーノ・タマヨ国際美術館が創設される。
色彩の豊かさ、パステルカラーの色調から眩いばかりの赤色まで、タマヨの画風は無邪気ささえ感じさせる図式的な面と、時おり激しさが発せられる表現主義の結合を特徴とする。また、燦然たるエネルギーが作品からは感じられ、その勢いをオクタヴィオ・パスは「力のコンステレーション」と表現している。不気味な、果ては夢幻的な創造物、それらは記憶の彼方にある太古からの伝統と、アーティストの無意識の中から生まれ出て来るようだ。
タマヨは、1990年、ムートン・ロスシルドのラベル作品の制作依頼を承諾していた。運命というものは思いどおりにはならないもので、残された家族らは巨匠の生前の思いが実現することを希望した。1998年ヴィンテージのラベルには、タマヨの家族が選んだ作品「ブリンディス(スペイン語で祝杯を意味する)」が贈られた。乾杯の音頭を取るひとりの男。赤く燃える太陽の下で、タマヨはこの平凡かつ庶民的儀式を、欲望を原型のまま捉えた衝撃的アレゴリーへと変貌させる。