

フランシス・ベーコン(1909年〜1992年)は、ダブリン生まれのイギリス人画家。競走馬の訓練師であった父は、息子の趣味や資質を支え励ますことはほとんどなかった。18歳の時に家を出て、パリで開かれた展覧会で初めてピカソ作品と出会う。家具・内装デザイナーとしてスタートし、1929年頃から絵画制作を始める。この時期の作品としては、初期作「磔刑」(1933年)のほかはほとんど残されていない。
独学でアートを学び、1945年頃、「キリスト磔刑図のための3つの習作」によって、ようやく独自のスタイルを確立したと言える。この作品は、1953年にはテート・ギャラリーが購入を決めている。
その後は、ベラスケスの「イノケンティウス10世の肖像」や「戦艦ポチョムキン」の乳母の叫び、アイスキュロスの「オレステイア」など、西欧の架空人物らを参照し、根本から変容を加え、彼独自の世界感にはめ込んだ。
変わらぬ信頼関係にあったマルボロ・ギャラリーとは1958年に契約を結び、1962年にはテート・ギャラリーにて初の回顧展が開催されている。1971年のパリ・グラン・パレでの展覧会をはじめ、複数回にわたって大規模な展覧会が催される。賛否両論を呼ぶ一連の代表作が生み出された時代である。自画像、友人らの肖像画、人体の習作。それらはしばしば三幅対(トリプティック)で描かれている。
自らの芸術作品のブルジョワ化と栄誉に浴することを頑なまでに拒み続けたフランシス・ベーコン。彼が同世紀を代表する絵画アーティストとして広く評価されるようになるのは、実に1985年にテート・ギャラリーで開催された回顧展によってである。
どの学派にも属せず、ベーコンの作品には、裸体、肉感、男性の性的強さが表現されている。恥辱的とも言える孤独に包まれ、誕生や苦痛のスパズムによりねじ曲げられた画風。ミステリアスな薄気味悪さ。彼自身、「私には微笑みが描けない」と語っていた。
ヴィヴィッドかつ平坦に色づけされたバックに、筋肉質の肢体が伸びる。変形ミラーに映し出されたオブジェのような線を描く。幾何学的描線の網に巻かれ、広がりは一切ない。出口のない空間は、古典的悲劇であると同時に、現代世界の生きづらさでもある。
ワイン愛好家であり、おそらくワインによる陶酔感をこよなく愛したベーコンは、1990年ムートン・ロスチャイルドのワインラベルを担当。ワイングラスを囲むように、奇妙かつ衝撃的な肉体モチーフが描かれている。