

ロバート(ロブ)・ウィルソンは、1941年、ウェイコ(テキサス)に生まれる。テキサス大学およびブルックリンのプラット・インスティチュートで学んだ後、当初は彫刻および建築に関心を寄せていた。1960年代には、大学のサークル活動や、自らが結成した作家集団「Byrd Hoffman School of Byrds」の活動の中で、アメリカの多様な実験的舞台制作に関わった。
1970年のとある夜、フランス・ナンシーの大学祭において、ひとりの耳の不自由な子供をめぐる、驚愕の美に包まれた舞台作「聾者の視線」を発表。ウィルソンは文字通り才能を「爆発」させる。この作品でヨーロッパにおける名声は高まり、続く「ヴィクトリア女王への手紙」(1974年)、音楽家フィリップ・グラスとの作品「浜辺のアインシュタイン」(1976年)、「死・破壊そしてデトロイト」(1979年)、1983年には大作「the CIVIL warS」で、演劇界における確固たる地位を築いた。1980年代からは、叙情的作品制作に転じる。ミラノ・スカラ座で上演された「サロメ」、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(MET)での「ローエングリン」、パリ・オペラ座での「蝶々夫人」、ハンブルクでの「パルジファル」。彼が演出を手掛けたこれらの劇場作品には、急進的で高い独創性のある彼特有の切り口が見事に活かされている。クリエーターとしての天才的資質は、絵画、家具調度品、アート展示など、多種多様な分野で同時に発揮された。もちろん変わらず演劇の分野においても、1995年に制作された「ハムレット」では、彼自身で長編一人芝居を演じ、話題となった。ニューヨーク郊外に「ウォーターミル・センター」を設立。学生からプロまで、演劇の研究活動が行なえる場として彼自身アトリエを担当した。映像的表現を生み出す詩人としての活動は他に類をみず、また、現代演劇界に与えた影響の大きさは計り知れない。世界中で彼の功績を讃える賞を授与されている。
実際、ボブ・ウィルソン的「スタイル」というものがある。光と色、そして振りを巧みに操ることから生まれる彼独自の表現である。各場面にはぎっしりと感情が詰められた厳かさがあり、それがスタイルと組み合わされる。彼が描く光景は、ゆったりとした魅惑的リズムに支配されながら、配合とリズムに従って次々に展開され、夢幻的、かつ緻密に構成された型破りな世界へと観客たちは吸い込まれてゆく。彼が上演する舞台は、自身の演劇作品であり、時には他者の作品であり、いずれにせよ、ボブ・ウィルソンは永久に唯一無二の存在である。
2001年ムートン・ロスチャイルドのラベルに、ボブ・ウィルソンは友人であるフィリピーヌ夫人を彩りのシンフォニーの中に演出してみせた。ブドウの若枝の緑と太陽を思わせる黄金色と、そして明るい赤色から深みのある紫色へ、豊かなワインの色階との調和が見事な作品である。