

ピカソ芸術ほどの今日的なアート作品は、とにかくダイレクトに、明快さと自発性、無邪気さで取り扱うのがふさわしいのかもしれない。いずれにせよ、「巨匠」と称して、おぞましい葬儀物さながら、彼を台座の上に乗せてしまうことだけは避けたい。何よりも生命力と行動力にあふれた人物で、彫像の呼吸をしない輪郭線の中に閉じ込められることに彼が堪えられるはずはない。
ピカソの理解にと拡散された重大な間違いの数々。中でも、一番深刻なのはシュルレアリストらと混同してしまうことである。なぜなら、ほとんどの彼の作品において、主題は常にと言って良いほど全くもって現実的なものであり、煙った夢の世界からの借り物では決してなく、象徴に変換され得るものでもなく、つまり、シュルレアリストであるなどとは言語道断である。人間の肢体、人間的オブジェ、それらが人間的空間に配置されている、これがピカソ作品に決定的に見られる要素である。
ミシェル・レリス、「ドキュマン2」誌、1930年
孤独なしには何も生まれない。私は、人知れず、孤独を私自身に植え付けた。今の時代、孤独になるのはとても難しいですね。我々は怪物を携えているから。怪物を連れた聖人を見たことはありますか?色んな場所を探しまわったのだけれど。時計職人の守護神になりに来る聖人のところだって探したのだけれども。
ピカソからテリアードへ、1932年