アントニ・タピエスは、カタルーニャ人画家・彫刻家。1923年、バルセロナの知識階級家庭に生まれる。生活拠点は常に生まれ故郷バルセロナにあり、作品制作も故郷に根付いた活動を行った。
バルセロナで法学を修めた後、絵画を学び、1948年美術雑誌「Dau al Set」を創刊。ミロとの出会いによって、短期ではあるがシュルレアリストの影響を受ける。タピエスにとって最も重要な出来事は、パリ滞在中に東洋哲学に開眼し、デュビュッフェやフォートリエなどアンフォルメル芸術との出会いであった。
1950年、バルセロナで初の個展を開催。活動の舞台は世界へと広がり、国際的な作品展示を行うようになる。1958年および1993年にはヴェネチア・ビエンナーレ賞、1993年にはピカソ賞など、数々の栄誉ある賞を受賞する。1985年にはフランス政府から国家絵画大賞を授与されている。1983年、故郷バルセロナ市はモニュメント彫刻作品「ピカソへのオマージュ」の制作をタピエスに依頼。また、同市からアントニ・タピエス基金へ譲渡された建物を利用し、1990年、アントニ・タピエス基金美術館が設立されている。現在では20世紀の巨匠アーティストのひとりに数えられ、タピエス作品は世界の著名美術館に展示されている。
東洋そして西洋との出会い、絵画的エクリチュールは、人間がオブジェと対峙する、人と素材との荒っぽい対話を呼び起こす。背景レリーフはしばしば土色で、絵の具と多様な素材(砂、布地、大理石、石膏、鉄線、紐)が混ぜられ、どれもがズタズタに引き裂かれ、切り込みが入った「壁」のようで、そこには最重要言語の昂然たるサインが記されている。どの学派にも属せず、タピエスの芸術は、無理矢理に制御したカオスのイメージの反復であり、現代の争点を徹底的に表現している。彼自身、自らの作品を「無数にキズが増えていく戦いの場」と定義している。
ひとつの鼻、ふたつの心臓、ひとつの口、ひとつの目。1995年ムートン・ロスシルドのラベルには、タピエスが制作し説明文を加えた明るい赤色のデッサン。グラン・ヴァンが約束する感覚の祭典をユーモアたっぷりに告示する。
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