1900年、カルリュは建築家一家に生まれる。兄ジャックは、パリのシャイヨ宮の設計を担当している。エコール・デ・ボザールで短期間学んだ後、17歳頃には早々と広告デザインを専門とする。
1918年には、かの有名な広告アーティスト、カッピエロが審査委員長を務める審査会で、今年の広告アーティストに選ばれるまでに才能を開花させる。受賞と同じ日に、カルリュは交通事故で右腕を失った。数ヶ月にわたる訓練や治療が必要とされたが、このような不幸の中でも、彼が制作活動にブレーキをかけることはなく、事故以降の作品には、この悲劇を回顧し、しばしば手がモチーフとして描かれるようになる。
ポスター画家としての作品は、横顔、仮面、手がモチーフとして繰り返し登場し、当時としては非常に斬新なデザインがベースになっている。カルリュは、特に以下3つの分野において精力的に作品制作を行った。まず、政治的メッセージを含むポスター制作。1930年からは平和運動(「Le Désarmement」1932年)および反ナチズム闘争(「Stop Hitler Now」1940年)に焦点をあてた作品を生み出した。このポスターは、1940年から1953年まで拠点を置いていた米国で制作されている。2つ目は、当時の芸術的流れにおける数々の主要学派を、ポスターというフォーマットに表現する活動。1924年ムートン・ロスシルドのラベルには、キュビスムの特徴が表現されている。ライヒホールド・ケミカルズ社のポスターをはじめとする作品には、アンドレ・ブルトンやイヴ・タンギーの影響を受けたシュルレアリスムが描かれた。最後3つ目の分野は、革新的技法を採用したシリーズ作である。フォトモンタージュ(映画「アトランティード」ポスター:パプスト監督/1932年)や3D素材(「La Grande Maison de Blanc」1933年)の他に、ポスターの構図に電球を用いた作品(「Luminograph」1937年)を発表している。
ジャン・カルリュは、商業アートの発展に多大な貢献を果たした。消費者の意識の中にブランドイメージを定着させるためには、はっきりとした線と強い色彩を用いることが重要であると、早い段階から主張してきた広告アーティストである。商業広告として高いクオリティを持つカルリュのポスターは、芸術作としても秀でた力のある作品といえる。
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