

短期間キュビストとして活動した後、アンドレ・マッソン(1896年〜1987年)は、自身の作品全体に深く長期に渡って影響を及ぼすこととなる、シュルレアリスムに傾倒する。「ディシダンス(離教派レジスタンス)」参加後(1929年)のことである。スペイン内戦によって、インスピレーションの根底にあった自然な暴力性は、悲劇的表現主義へと転換される。1941年から1944年の間は米国に拠点を構え、「アクション・ペインティング」の先導役として多大なる影響力を持った。1947年にフランスへ戻り、プロヴァンス地方にて制作活動を続ける。パリでは「ハムレット」や「黄金の頭」など、数々の舞台美術を手掛け、オデオン劇場の天井画を描いている。
1957年ムートン・ロスシルドのワインラベルを担当したマッソンは、恍惚とした飲み手の肢体がブドウの蔓に絡まる様子を描き、心地よい陶酔感への賛辞を呈している。