

バルテュス、これはバルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ伯爵(1909年〜2001年)のアーティスト名です。ポーランド貴族の血を引きフランス・パリで生まれたバルテュスは、13歳の頃にはライナー・マリア・リルケから将来を嘱望されます。ピエール=ジャン・ジューヴ、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ジャコメッティ、ジョルジュ・バタイユ、フェリーニ、アルベール・カミュ… 同時代の才能あふれる作家やクリエーターから生涯にわたって賛辞を受け、深い親交で結ばれました。
各地に活動拠点を移しながら、画家としてのキャリアを築きます。1961年から1976年には、ローマのヴィラ・メディチ(フランス・アカデミー)館長としてイタリアに滞在。それ以前の1954年から1961年にはフランス・モルヴァン山地に暮らしており、孤独と壮大さをこよなく愛したバルテュスはアルプスを終の住み処とし、同じくアーティストである節子夫人とともに晩年の日々はスイスで過ごしました。
肖像画、自然や都市の景観、建物内部を描いた風景画… バルテュスの作品は、寸法やテーマ、構図の取り方やその厳格さをみる限りでは古典的で、クールベやセザンヌのみならず、イタリア・クアトロチェント(初期ルネッサンス)にも呼応する画風です。しかしながら、人間や物事の秘事が込められることで、その正統さが変貌を見せるのです。キャンバスに描かれたシルエットは、まるで一瞬にして魔法をかけられ、永遠に動きを止められたかのよう。そこには、ヴェルレーヌがいうところの「意味の揺らめきが確かさと結び合う」空間があります。
バルテュスが担当した1993年ムートン・ロスチャイルドには、彼の作品に頻繁に登場するモチーフが描かれています。放心の眼差しの、儚い優雅さをまとったひとりの少女です。
この年のワインラベルは、ふたつのバージョンが存在するという、実に数奇な運命を辿ります。アメリカ合衆国において、アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局(BATF)の検査を予め通過していたにも関わらず、このラベルはリリース直後から一部で激しい物議を醸しました。フィリピーヌ・ド・ロスシルド夫人はこの論争解決のために、アメリカ市場に出荷されていたボトルの自主回収を決断し、BATFに対して同ラベルの承認取消を求めます。こうして、パステルカラーの背景のみを残したバルテュス作品が飾られた、アメリカ市場用の特別ラベルが制作されたのです。