ニキ・ド・サンファル(1930年〜2002年)は、ヌイイ=シュル=セーヌ(フランス)に生まれ、両親が暮らすニューヨークで育った。若い頃からアメリカの著名雑誌でモデルを務め、音楽の勉強をスタートする。
1952年、彼女のふたりの子供の父親でもある夫ハリー・マシューズとともに、パリへと拠点を移し、絵画制作を始める。バルセロナへ旅した折、その後の画風に絶えず影響を及ぼすこととなるガウディの建築に触れる。
1956年、初の絵画展覧会がスイスのザンクト・ガレンで開催される。1960年、彫刻家ジャン・ティンゲリーとの出会い。以降、1991年にティンゲリーが亡くなるまで、公私ともに親密な関係を築くことになる。その後の数年間で「射撃絵画」を代表とする挑発的作品を発表し、初めて画家として存在を世に知られるようになる。ヴィヴィッドな色の石膏を詰めた袋にカービン銃を撃ち込み破裂させるという手法が取られた。同時期、ヌーヴォー・レアリストの活動グループに加盟する。そのグループには、イヴ・クライン、アルマン、クリスト、そしてティンゲリーが参加していた。
1965年から1970年の期間、ニューヨーク、パリ、ストックホルム、モントリオールなどで「ナナ」シリーズを制作し発表した。たっぷりと豊満な女性的シルエットの多色作品で、モチーフに豊かな体つきを持たせ、細身女性が流行する世相への抵抗を表した。これらの作品は彫刻家としてのニキの代表作となる。この後の作品のまさに原型と言える豊満な「ナナ」をきっかけとして、突飛な創造物の数々を徐々に生み出し、魅惑のコレクションが形成されていく。ミイ=ラ=フォレの「Le Cyclope(キュプロプス)」、エルサレムの「Le Golem」、トスカーナの「タロットの庭」など、時には人の形をした、時には巨像化した創造物で、決まって激しい色彩を特徴としている。1982年、その2年前に開催された回顧展の会場であったパリ・ポンピドゥー・センター近くに、ティンゲリーとの合作「ストラヴィンスキーの噴水」を制作する。世界的にも知られるこの作品は、サンディエゴ(USA)に現在は設置されている。記念すべき2000年には、建築家マリオ・ボッタとともに記念碑的「ノアの方舟」を制作している。
太陽から食器まで、食いしん坊の口、伸びる手、ニキ・ド・サンファルは、食の悦びをテーマとしたお祭りの雰囲気あふれ輝くアレゴリーをムートンのために描いている。作品に横たわるように描かれているのは「ニキのオブジェ」。この世の始まり同等に古いお話に登場する「誘惑者のヘビ」である。ただ、このヘビに限っては悪辣と言うより酒好きの様子。伝承どおりのリンゴをイヴに手渡すかわりに、この作品ではワインボトルをすすめている。間違いなく1997年ムートン・ロスチャイルドであろう!