フィリピーヌ・ド・ロスシルド男爵夫人

フィリピーヌ・ド・ロスシルド男爵夫人(1933年-2014年)

2014年8月22日、フィリピーヌ・ド・ロスシルド男爵夫人が逝去されました。フィリピーヌ夫人は生前、子供たちとともに、シャトー・ムートン・ロスチャイルド(格付第一級)、シャトー・ダルマイヤック、そしてシャトー・クレール・ミロン、以上ポイヤック格付グラン・クリュ3軒の運営指揮をとられました。同時に、バロン・フィリップ・ド・ロスシルド社の監査役会会長を務められ、筆頭株主でもありました。同社はAOCボルドーワインの輸出販売業務における業界ナンバーワン企業であり、特にトップレベルのブランドワイン、ムートン・カデの生産・販売を行なっています。

フィリピーヌ・ド・ロスシルド夫人は、第二次大戦下のフランスで幼少期を過ごします。当時、父フィリップ・ド・ロスシルド男爵(1902年〜1988年)はド・ゴール将軍と行動を共にし、母は、ラーフェンスブリュック強制収容所に送り込まれ、1945年に収容所で亡くなります。フィリピーヌ夫人は奇跡的に死を免れたのです。

演劇をこよなく愛し、1958年にはパリの高等演劇学校で首席を修め、コメディ・フランセーズに入団。俳優・演出家ジャック・セレイス氏と離婚後、大学教員・作家であるジャン=ピエール・ド・ボーマルシェ氏と再婚。3人の子供たち(カミーユ、フィリップ、ジュリアン)はそれぞれ、1961年、1963年、1971年に誕生しています。

コメディ・フランセーズ退団後も演劇活動を続け、主にマドレーヌ・ルノーのもとで、1973年から1980年の間、舞台「ハロルドとモード」で主役級を演じます。

その後、一族が経営する会社およびムートンの運営に積極的に参加し始めます。中でも、1981年以降、「Mouton Rothschild, l’Art et l’Etiquette(ムートン・ロスチャイルド、芸術とワインラベル)」巡回展を自ら企画し、著名美術家によって制作されたワインラベルの原画作品を世界に紹介すべく、精力的に活動されました。

夫人は、父フィリップ男爵の死後、ムートンの全権を引き継ぎます。世界に名立たるワインを生み出し、ワインツーリズムの中心として、ムートンの名声をさらに轟かせようと並々ならぬ努力を重ねられました。組織としてのコミュニケーション力を駆使し、業務ツールの近代化、営業販売部門におけるオファー拡大、そして営業効率の向上に努められました。また、フランス国内外におけるシャトーワイン事業およびネゴシアンワイン事業、いずれも秀逸テロワール地域に拠点を構えています。

フィリピーヌ・ド・ロスシルド夫人は、レジオンドヌール勲章シュヴァリエに叙され、芸術文化勲章オフィシエを授与されています。

現在は、夫人の長男、フィリップ・セレイス・ド・ロスシルドが、ロスシルド社の監査役会会長に就任しています。長女カミーユ・ウグレンおよび次男ジュリアン・ド・ボーマルシェは、新会長の全面的サポートにまわっています。お母様から託された至宝と、シャトーの格言「Mouton ne change(されどムートンは不変なり)」への忠誠心を軸とし、さらなる固い絆で結ばれています。

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